ネタとしての儀式


 オーストラリア先住民のウイラジュリ族は、成人の日に突如として現れる一群の男たちによって、少年を母親の元から連れ去さる儀式をおこなうそうです。
 連れ去られた少年は神によって食い尽くされると信じているため、母親と少年は激しい恐怖を体験することになります。
 一応、殺され喰われた少年は、成人として復活することが約束されていますが、「少年」としての彼はここで確実に殺されてしまいます*1


 イニシエーションというのは、儀式的な死と再生を体験することなわけですけれど、アボリジニのイニシエーションでは、その間に「死の恐怖」を体験することがとても重要な要素になっているようです。


 で、上の短文は、そういう儀式をV:tMのネタにするとどうなるかなーと思って書いたんですけど、こういうコトをやりそうな氏族というとどこでしょうかね。ツィミーシィ辺りでしょうか。
 抱擁による人間としての死と、血族としての再生というのは非常に興味深いネタなので、シナリオに入る前のちょっとしたミニセッションででもいいですから入れてみたいです。


 また、儀式の意義は、自分で体験することによって、頭で理解するだけではなく心から実感することにあるようです。
 「抱擁の儀式」でキャラクターの死と再生を実際にプレイすることは、V:tMでプレイしているのが特殊能力を持った人間ではなく、死んで再び立ち上がった死者をプレイしていることを実感する手助けをしてくれるんじゃないでしょうか。

*1:最初、この儀式の話を知った時は、「なまはげ?」とか思ったんですけど、なまはげには死と再生の意味合いはあまり感じられませんね。ただ、昔はお正月にみんなが一歳ずつ年をとることになっていて、なまはげは年末に訪れるので、今までの自分は死んで、一歳年をとった自分が再生するような意味があったのかも知れません。